文久の改革で政治総裁職と京都守護職が設置。

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安藤正信が坂下門外の変で失脚した話をしたよね。

公武合体ってのは信頼の失墜した江戸幕府にとって大事な作戦だったわけだ。でも、公武合体進めようとすると浪士に襲撃される可能性があるわけだからね。みんなビビって動きが鈍くなったのね。

そんな中、気合が入ってるのがあの島津久光だよね。後に通りかかったイギリス人切っちゃうくらいだから!!

公武合体?やるに決まってんじゃん。それが文久の改革だわさ。

文久の改革ってなんだ。

桜田門外の変 → 井伊直弼殺される
坂下門外の変 → 安藤信正斬られる

その後にやってくるのが、文久の改革よ。1862年
島津久光が、行った幕政改革のことで井伊直弼が安政の大獄で一橋派を弾圧したじゃん?

そいつらを政治の役職に就かせて改革を行っていこうとしたのね。久光は。
江戸幕府が改革を行ったってよりは、もう江戸幕府に力なんて無いから薩摩藩の藩主島津久光や朝廷の公卿とかが、

『もうさ、俺らに任せて言うこと聞きなよ。今まで散々だったんだし。』

ってことで、半ば強引に始めた改革ね。

まずやったのは、人事

徳川慶喜を将軍後見職(しょうぐんこうけんしょく)
松平慶永を政治総裁職(せいじそうさいしょく)
松平容保(かたもり)を京都守護職(きょうとしゅごしょく)

にしたよ。これは丸暗記ね。

ちょっとじっくり見て見ようか。

■将軍後見職

これは将軍の補佐役。

■政治総裁職

大老に相当する役職ね。

■京都守護職

京都の治安維持をする役職ね。松平容保(かたもり)って会津藩の藩主がこの役職に就いたよ。会津っていったら、福島・栃木・新潟の方がだから遠いねー。

容保も読みづらいし。
久光も孝明天皇に建白書ってやつを送って、「安政の大獄で処分された奴ら、助けてやってよ。」なんて粋な計らいだよね。これを天皇が受け入れて実現するなんてさ。どれだけ江戸幕府力なくなってんの?って話だけども。

次にやったのは参勤交代の緩和ね。

参勤交代を3年1勤にして短くしたの。参勤交代をやっても大名はお金ばっかりかかるし、外国が攻めてくるのに対して国力をつけなきゃいけない!!なんて時に、諸藩大名の力を奪っても・・・ね・・・ってことだね。

鎖国時代は、大名に強くなってもらっちゃ困ったわけ。

力をつけて江戸幕府を倒そうとされても困るからさ。だから、3代家光の時から参勤交代やらせてたわけだけど。

この外国とのやり取りが大変な時に、参勤交代なんかやっててもしょうがないじゃん。

だから緩和したわけ。

 

他にも軍事改革ね。

陸軍奉行ってのを設置してとにかく軍事力を強めようとしたわけ。後々出てくる榎本武揚や西周もオランダに留学させて、軍事の研究させに行ったしね。

 

これらの改革がされている途中に、島津久光は生麦事件起こしちゃうんだよねー。

マジ、ファンキーだわ。

 

ちょっとまとめ。

公武合体を進めているのは、江戸幕府・薩摩藩・会津藩ってことがこれでわかったよね。

それに対して尊王攘夷運動が盛んなのが、長州の下級武士。

まぁ知っていると思うけど、薩摩と長州は同盟組むわけじゃん?今のこの状態から、薩摩と長州が同盟を組んでいくってのはなかなか面白いでしょ。歴史好きにはたまらない出来事なわけ。

もう少ししたら薩長同盟になるから楽しみにしててよ。

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