蛮書和解御用(ばんしょわげごよう)は東京大学の起源!?

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前回は、伊能忠敬の先生であった高橋至時について見てきたね。

先進的な寛政暦を作ったり、伊能忠敬に天文学を教えたことが大きな功績だった。

 

今回紹介する「蛮書和解御用」という幕府の新しい部署には、高橋至時の息子高橋景保がかかわっているんだ。

高橋景保は『大日本沿海輿地全図』の完成に関わる。

 

伊能忠敬の説明の時に、「忠敬は『大日本沿海輿地全図』の作成中に病気で亡くなり、その後は弟子たちの手によって完成された」といったよね。

 

忠敬の死後、『大日本沿海輿地全図』を完成させたのは景保だったんだ。

景保は忠敬の全国測量の時には、幕府の天文学者として全面的に援助をしていた。

蛮書和解御用ってなんだ?

そんな景保が幕府に申し立てをして設置された新たな部署が「蛮書和解御用」というもの。

 

蛮書和解御用は天文方(改暦や測量を行う部署)のなかに設置され、主に蘭書を翻訳していた。

景保の父・至時が改暦の際西洋の技術を取り入れて成功したことから、景保は西洋の本から技術をどんどん取り入れるべき、と考えていたんだね。

 

蛮書和解御用には大槻玄沢など優秀な蘭学者が招かれたよ。

 

実はこの蛮書和解御用、この後幕末~明治維新まで続き、数々の変遷を経て現在は「東京大学」となっている。

まとめ

景保は、蛮書和解御用という翻訳機関を作ったことで大きな功績があるんだけど、今後紹介する「シーボルト事件」という事件に巻き込まれて死刑となってしまう。

 

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