アロー戦争と天津条約・北京条約をわかりやすく。

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卑劣なイギリス人によるアロー戦争についてお話するよ。

日本史の用語集だと、天津条約と北京条約ってのが載っているんだけでも詳しく書いてないからさ。天津と北京何が違うのか!と多くの日本史受験生は考えているはずだね。

そもそもアロー戦争が第二次アヘン戦争って言われているけど、「なんだ?中国反乱したのか?」と考えるよね。アヘン戦争でボッコボコにされたわけだからさ。

違うよ、まったく違うの。聞いて驚くなよ!アロー戦争ってのはイギリスがふっかけた戦争なの。ジャイアンがのび太をいじめてボコボコにして、さらに喧嘩ふっかけてボコボコにするようなもんだね。スネオ(フランス)まで加担してさ。今日はアロー戦争についてだよ。

 

アロー戦争をわかりやすく

 

簡単に言うと難癖だね!!

まずね、アロー号って船が海賊の容疑で広州で逮捕されるのね。そこの船長がイギリス人だったとか、イギリス人じゃなかったとか。ほとんどは中国人だったわけだったけども・・・

「あれ?なんかあいつ、イギリスの国旗下してね?」

そうです。中国人がイギリスの国旗を下したことにたいして、侮辱された!!失敬な!!!ということでアロー戦争をイギリスが仕掛けるのね。

もうね、めちゃくちゃだよね。これが1856年のことで、1840年のアヘン戦争からたったの16年しか経ってないから、「第二次アヘン戦争」って言われてるね。

アヘン戦争の時と同様に、難癖だよね。戦争は問題が起きておこるんじゃないよ。戦争を起こすために、問題を作るんだよ・・・。

 

ということで、イギリスはアロー号事件を発端にアロー戦争をしかけるわけだけども。

フランスもそこに便乗してくるわけ。スネオね。スネオ。

たまたまラッキーにもフランス人の宣教師が中国で同年の殺されてるのね。それをきっかけにして、「え?なになに?イギリス戦争すんの?俺も行くわ!!」みたいねナポレオン三世のノリね。

 

結局、この戦争で大敗を期した清はイギリス、フランス、ロシア、アメリカと天津条約を結びます。これが1858年の話。

これが天津条約ね!!覚えておいて!!

アヘン戦争 → 南京条約
アロー戦争 → 天津条約

という風に覚えておこう。

 

 

実際のところ、イギリスはアヘン戦争で清に勝利したわけだけど、その後イギリスへの輸出って増えなかったんだよね。

イギリス製品は中国市場で売れなかったの。清は排外的な態度を貫いていたし、中国人は自給自足で小さな集落があるような国だから、イギリスから輸入するような機会ってないのね。

それに怒ったイギリスが戦争をふっかけたってのが大きな見方だね。

 

じゃ北京条約は?

 

まぁこれだけやられて清も黙ってないよね。さすがにキレるじゃん。

天津条約を結んだ1858年の翌年に、天津を訪れたイギリス・フランスの艦隊を攻撃しちゃうんですね。さすがにあれだけでかい国だったら一枚岩でいるのは難しいでしょう。反乱分子は出てくるよ。

 

でもって楽勝で負けて北京を占領されます。ここで結ばれたのが北京条約ってわけですね。1960年の話。

さらに賠償金を払って、領土も一部渡す形になるわけですね。

 

イギリスの鬼畜っぷりが知れる出来事でした。

 

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