亜欧堂田善(あおうどうでんぜん)と司馬江漢の関係って?

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

前回は、洋風画の技術を取り入れたり銅版画をつくったりとマルチに活躍した画家・司馬江漢について見てきたね。

 

前回説明し忘れたんだけど、司馬江漢が作った銅版画は「エッチング(銅板を薬品で腐食させて形つくる手法)」のものだ。

 

今回紹介する亜欧堂田善(あおうどうでんぜん)も、エッチングによる銅版画制作で名をあげた人物だ。

亜欧堂田善も変わり者

亜欧堂田善もこれまたちょっと変わった子供だったらしい。

 

田善の住んでいたところの近くは、屋根に使う「瓦(かわら)」の制作が盛んな地域で、瓦を焼くための窯からは煙が立ち上っていた。

 

この煙がなぜか田善少年を惹きつけてしまったようで、なんと弁当持参で来る日も来る日も窯から登る煙を見ていたんだって。

 

当然周りからはイカれたヤツとして見られていたらしい。

田善と銅版画

田善と銅版画の出会いは、なんと当時白河藩の藩主であった松平定信と関係がある。

 

定信が昼食で立ち寄った店に飾られていた、田善の描いた屏風を気に入り、田善を呼び寄せる。

その後定信の命で白河にいた画家の元で洋風画を学び、さらに長崎にも赴いて銅版画を研究した。

 

その銅版画の師匠については諸説あるんだけど、司馬江漢に学んでいたのではないかとも言われている。

 

有名な作品は、『浅間山図屏風』だ。

田善が大好きだった煙が生き生きと描かれているね。

 

 

まとめ

司馬江漢は、田善を「飲み込みの遅いノロマ!」と言って破門にしたけれど、後々田善の銅版画を見て「田善のほうが上手いやんけ・・・」と破門にしたのをくやんだ、という逸話が残っている。

 

それほど田善の銅版画は素晴らしいものだったんだね。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*