安政の大獄をわかりやすく。

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前回は将軍継嗣問題について話したな。

井伊直弼率いる南紀派は、「将軍の血縁重視!家茂だ!」主張し、松平慶永・徳川斉昭率いる一橋派は、「すぐに対応できる慶喜だ!」とそれぞれの意見がぶつかったね。

結局、井伊直弼が勝つんだけどもこの時から安政の大獄ってのは始まっていたのさ。要は反対する奴は全員処罰ね。それが安政の大獄。

これについてちょっと掘り下げてみようか。

安政の大獄とは

安政の大獄の始まりは、安政五年の政変に始まるよ。

徳川斉昭と松平慶永が一橋慶喜を推すわけじゃん?井伊直弼に対して江戸に抗議するわけなんだけども、まぁ城に入っちゃいけない日に勝手に入るのね。

で、ブチ切れた井伊直弼は徳川斉昭と松平慶永を隠居処分すんの。

「お前ら、家から出んな」って。

まぁご存じの通り、井伊直弼は天皇の勅許も無い状態で日米修好通商条約を結んじゃうわけだし、「あいつ大丈夫か?」って思われているわけね。

で、外国人うぜぇ組、そう!攘夷派からは嫌われまくっていたわけ。

 

だから、薩摩藩の藩主島津斉彬なんかは5,000人を率いて江戸に向かおうとしたり、天皇は水戸藩に「攘夷しろ!」と内緒で手紙送ったりしたかけ。

井伊直弼としては、

「やべぇ、みんな反対してきやがる・・・そうだ、殺せばいいんだ!」

とクレイジーな弾圧をし始めるわけ。これが安政の大獄ってわけよ。実際8人が処刑されてるからね。

有名どころで言うと、橋本左内とか吉田松陰が死刑になるよね。橋本左内は一橋派を推してたし、吉田松陰は日米修好通商条約に反対してたからさ。

親藩・外様・志士らを処分しまくっったわけさ。幕府を批判するやつらはとりあえず牢屋入っとけ的なノリね。

これが安政の大獄。わかったかな?

幕府の批判するやつらを取り締まってやろうってことね。

 

 

ここまでの話をまとめるよ。

井伊直弼は、「将軍継嗣問題」と「条約調印」という2つの問題を抱えてたわけだね。

条約の調印に関しては、孝明天皇が攘夷派なもんだから、外国人うぜぇっていうのでなかなか勅許もらえないし。勅許もらえないから勝手に調印したら、みんなにキレられるし。

将軍継嗣問題に関しては、一橋派に力を持っていかれるのが嫌だったんだよ。

 

こういった2つのことがあて井伊直弼は、パニくってたのかな。

とりあえず反対してくる奴らは全員処罰。安政の大獄をしよう!ってことなんだよね。

 

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