生類憐みの令は最近になって悪法ではなかったことが明らかに。

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5代将軍・徳川綱吉と聞けば、すぐにあの法令が頭に浮かぶんじゃないかな?

 

「生類憐みの令」。

 

無類の犬好きだっただの、民衆をわけのわからない法令で苦しめただの散々な言われようの綱吉。

 

僕も高校時代に習ったときは「生類憐みの令を破ったものは厳罰に処され、民衆は苦しんだ」と教わっていた。

 

しかし、最近ではどうもこういった見方が間違っていたと言われているんだ。

 

詳しく見ていこう。

 

生類憐みの令の真実

 

生類憐みの令は、現代語訳するとこんな内容だ。

 

一、捨て子があればすぐさま届け出ようとせず、その場所の者がいたわり、みずから養うか、またはのぞむ者がいればその養子とせよ。よいか、届け出なくてかまわない。

一、鳥類・畜類で、人が傷つけたと思われるものは今までのように届け出よ。共食いやみずから傷つけたと思われるものは届け出なくてよい。それらを養育し、持ち主があればかえすようにせよ。

一、飼い主がいない犬に日ごろ食べ物をあたえないようにしているという。それは要するに食べ物をあたえれば、その人の飼い犬のようになって面倒なことがおこると考え、いたわらないでいるらしいが、けしからん。これからはそのようなことがないように心得よ。

一、飼い犬が死ぬと、飼い主は上司へ届けでているという。その死に異常がなければ、これからはそのような届け出は無用である。

一、犬ばかりにかぎらず、人々はすべて生類へ慈悲の心からでるあわれみをほどこすことが肝要なのである。

https://matome.naver.jp/odai/2140673467374341701

 

 

生類憐みの令は、もともと一番上の「捨て子」に関する法令だった。

捨て子に憐みの心をもって接せよという法令だったんだ。

 

 

なんで綱吉はこんな捨て子に対する政策を打ち出したのか。

それは、綱吉は4代将軍・家綱と同じように「文治政治」を目指していたから。

 

綱吉は、戦国時代から続く人々の「荒んだ心」を憂いていたんだ。

実際、江戸初期では町人や武士の間でも殺し合いに発展するような争いがたくさん起こっていた。

 

このままではダメだと考えた綱吉は、「捨て子政策」によって人々にちょっとずつ「優しい心」を持っていってほしいと考えていたようだ。

 

しかし、当時の人々にとっては人や動物を殺すことが「いけないこと」という認識は希薄で、この法令は正直突拍子もないものとして受け止められた。

 

綱吉は人々の心を変えるべくこの捨て子政策を派生させ、「生き物をむやみやたらに殺すんじゃないぞ」としたけれど、なかなか改善されなかった。

 

それどころかこの法令をおちょくり、犬を見せしめのように殺して晒すようなことも起こるようになってしまったことで、これの対策をしようと生類憐みの令に「犬関連」の法令を盛り込むことにしたところ、犬将軍なんて言われるようになってしまった。

 

 

だけど、要するに綱吉は「人を含め、生きているものをむやみやたらに殺すのはダメだ」ということを言いたかったわけだ。

生類憐みの令がもたらした影響

 

生類憐みの令によって民衆が殺されたり抑圧された、というのは実はデマだったようで、処刑されていたのは法令を破った反逆の罪に問われた「武士」たちがほとんどだった。

 

生類憐みの令がもたらしたのはむしろプラスの影響。

 

この法令が出たことで、民衆たちの心の奥底に「あ、人を殺したりするのってやべえんだ」という思想が根付くきっかけになったんだ。

 

戦国時代は敵を何人殺せるかで功績が決まっていた時代だったのだから、この意識改革はとても大きな意味を持っている。

 

また、生類の憐みの令以降、江戸では殺人事件が減少していったともいう。

 

 

まとめ

 

いままで散々な評価だった綱吉と「生類憐みの令」だけど、実は綱吉が何とかして人々の心を変えようとした努力の結果だったんだね。

 

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