江戸時代の外交をわかりやすく!~慶長遣欧使節~

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

さて、今回は江戸時代の外交第二弾。

 

前回は外国から日本へやってきた人々や、それにまつわる出来事を見てきたね。今回は逆に、日本から外国へ向かった人たちを見ていこう!

その中でも特に田中勝介と支倉常長の二人に注目していくよ。

田中勝介って?

田中勝介は、京都の「商人」だったんだ。この人、後に太平洋を渡ってノビスパン(現在のメキシコ)へ行くんだけど、何をしたかったかというとノビスパンとの貿易だった。

ドン=ロドリコっていうスペイン領フィリピン(当時)の臨時総督が母国に帰ろうと思ったら暴風で流されて日本に漂着しちゃったのね。

で、改めて国に帰ろうって時に、家康に命じられてドン=ロドリコと一緒にノビスパンへ向かうんだ。

でも結局ノビスパンとの通商は果たせなかった・・・。残念!

支倉常長と慶長遣欧使節

 

田中勝介がノビスパンへ行った三年後、今度は慶長遣欧使節と呼ばれる集団がノビスパンをはじめ、スペインやイタリアまで向かった。

この慶長遣欧使節のリーダーが支倉常長。この人はあの独眼竜でおなじみ伊達政宗に命じられて欧州へ向かったよ。

でもこの使節による交渉も結局失敗に終わってしまった・・・。この使節が外国へ行ってる間に、日本国内でキリスト教ダメ!!っていう風潮が非常に強くなってしまったこともその理由の一つ。

スペインは前に寺請制度のとこで話したように、布教によって他国を侵略したりしてたからね。

 

「全部失敗かよ!!」って思っちゃいそうだけど、田中勝介や支倉常長率いる慶長遣欧使節団の何が重要かというと、「日本人が初めてヨーロッパに出向いて貿易交渉を行った」ってこと!明治時代になると岩倉使節団とかいろいろヨーロッパに出向いていくけど、その礎となったのがこの二人なんだ!そう考えるとすごい進歩だよね。

 

今回はここまで。次回は江戸初期の貿易に関する制度について見ていくよ!

 

 

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*